部屋に残された俺と女(名前は何ていったっけ……?)は、 互いに言葉を交わすことなく、同じ空間に居続けた。 俺は窓にもたれ掛かって外の景色を眺めていたし、 は阿伏兎が出て行った襖をずっと見つめていた。 別に俺は居心地が悪いなんて思わなかったけど、 傍から見たら異様な光景なんだろうと思う。 特にココは吉原で、客をもてなす遊郭だしね。 目の前の客(いや、正確には俺は客じゃないけど)を放っておいて、 ボーっと物思いにふける遊女なんて、立派な職業放棄だ。 『……あの人、よく悪い冗談を言う人なんですか?』 俺が下の通りで歩いている遊女の群れを眺めていると、 ふいにが俺に向かってそう問いかけた。 その声に俺は意識を外からに移し、同時に顔も鞠末に向けた。 「阿伏兎のこと?いいや?アイツはクソが付くほど真面目な奴だよ。 冗談なんて滅多に言わないな……何?アイツに告白されたの?」 はまだ襖を見つめたまま、つまり俺に背を向けたまま静かに頷いた。 『気に入ったから、ココから連れ出してやると……。』 「へぇ、そんなこと言ったんだ。アイツも隅に置けないね。」 俺は阿伏兎の意外な一面に驚いた反面、なんだか楽しくなってきた。 アイツは同じ夜兎でも俺とは違った考えの持ち主で、 平和主義者の老いぼれジジィだという事は重々承知していたけれど、 まさか地球の女に、しかも遊女に惚れるだなんて、面白いことこの上ない。 もし鳳仙の旦那がを連れ出すことを許せば、 阿伏兎にはという最大の弱みが出来ることになる。 そうなれば、今後は阿伏兎を脅さなくても色々と命令出来るかもしれない。 まぁ鳳仙の旦那はこうなる事を分かっててを連れて来たはずだから、 万が一にもを連れ出すことに反対されるなんてないんだろうけどさ。 「阿伏兎は本気だよ。冗談でそんな事口走るような男じゃないからね。」 『……そう、ですか……。』 「君はどうするの?一緒に来るのかい?」 俺の言葉に不安そうに答えるに、俺は質問を続けた。 さっきの様子じゃあコイツも阿伏兎に惚れてると思ったけど、 どうやらの気持ちはそう簡単なものでもないらしい。 『……私は、吉原の天神でございます。 裏社会を知りすぎてしまった私が、今更ここを出るなんて……。』 「俺たちも裏社会の人間だ。生きる場所は変わらないよ。」 『でも、鳳仙様が許して下さるかどうか……。』 「許すよ。鳳仙の旦那はこうなる事を知っていて、 その上で阿伏兎の元に君を連れてきたんだから。」 俺がそう言うと、は静かに息を吐いて黙り込んでしまった。 さほど驚いていないところを見ると、 どうやらも鳳仙の旦那の思惑には気づいていたようだ。 だったら何でこんなに思い悩んでいるんだろうか。 俺には女の気持ちはさっぱり分からない。 こんなところ、さっさと出たいとは思わないんだろうか。 遊女なんて仕事、続けていたい職でもないだろうに。 「阿伏兎のことが嫌いなの?」 『……っ、そんなことっ……!』 俺の言葉に過剰反応を示したはやっと俺に体を向け、 困ったような、怯えたような瞳で俺を見つめてきた。 「じゃあ思い悩む必要はないだろ?何をそんなに怯えてるんだい?」 『…………。』 俺がまた尋ねると、は目を伏せて静かに口を開いた。 『あの方は、本当に優しいお方だと思います。 でも、だからこそ、私が隣に居ていいのかどうか……。』 「なんだ、そんな下らないこと気にしてたんだ。 いいに決まってるよ。現にアイツが君を選んだんだからさ。」 はまだ納得のいっていない様子で目を伏せていた。 女っていうのはどうもゴチャゴチャと考えすぎる傾向にあるようだ。 アイツがを欲しいって言ったんだから、 隣に居てもいいに決まってるじゃないか。 それどころか常に一緒に居て、夜には組み敷かれてやるのがベストだ。 それともはまだ阿伏兎の性格を理解していないんだろうか? まぁ今日会ったばっかりだし、阿伏兎が女に興味を示したことの珍しさも、 その上プロポーズまでしたことの重大さも、何も分かってないんだろう。 こんなの、春雨に帰ってみんなに言いふらしたら 次の日の話題は阿伏兎一色となるくらいの重大ニュースだというのに。 「君はアイツを分かってない。 アイツは君が思ってるほど優しい男じゃない。野蛮で馬鹿な男だ。 それに、今は老いぼれているけど、根は生粋の夜兎族だ。 本当は闘うことが楽しくて仕方がないんだよ。元気がないだけで。」 俺が肩をすくめながらそう説明してやったら、 最初はぽかんと話を聞いていたが、急にフフッと笑い始めた。 別に面白いことを言ったつもりはないんだけどな。 「どうして笑ったの?」 『え?あっ、申し訳ありません。つい、面白くて。』 「面白い?何が?」 『あの方の意外な一面を聞かせて頂いて、少し印象が変わったもので。 もっと落ち着いた方かと思っておりましたが、そうでもないようですね。』 は初めて俺に天神に相応しい笑顔を見せた。 その表情はまさに美女。阿伏兎ってこういう顔が好きなんだ。 「自分はジジィのくせに生意気な……。」 『はい?』 「いや、こっちの話。やっぱり君は阿伏兎を美化しすぎてるよ。 これから一生かけてその勘違いを修復した方がいい。」 俺が本気でそう言ったのに、 には気の効いた言葉だと受け止められたらしく、 さっきよりもさらにすっきりとした顔で微笑まれた。 『そうですね……私もあの方には興味があります。 ご一緒してもよろしいなら、私も共に宇宙に参りましょう。』 「あはは、阿伏兎が喜ぶキモい顔が楽しみだな。」 俺がそう言った次の瞬間、部屋の襖がガラリと開いた。楽園へ向かう流れ星
(人々は留まっている星よりも、流れる星に心を奪われる) (ただ光り輝くだけでなく、自分で未来を切り開く星に) .。o○.。o○.。o○.。o○.。o○.。o○.。o○.。o○.。o○.。o○.。o○.。o○.。o○ 遊女シリーズの出会い、みたいな感じで。 ※誤字、脱字、その他指摘等は拍手かメールにて。 2010/12/19 管理人:かほ