アタシには最近、悩んでいることがある。 「坂田さん。……ねぇ、坂田さん!」 『えっ?』 自分に向けて発せられた強めの呼びかけに、アタシはハッとして声の方に振り向いた。 「ちょっと坂田さん、もしかしてまだ慣れてないの?」 呆れたようにそう言ったのは、スーパーで顔馴染みになった奥さんだ。 アタシは奥さんの言葉に『あはは、』と苦笑いを返す。 『すみません……まだちょっと……。』 「ちょっと、しっかりしてよぉ?アナタはもう坂田さんなんだから。」 奥さんは悪戯っぽく笑いながらそう言って、アタシの肩を軽く叩いた。 そして「じゃあまたね、坂田さん」と確認するように言ってその場を去っていった。 『……はぁ。』 奥さんを笑顔で見送った後、アタシはその場で大きな溜息を吐いた。 『苗字が変わるのって、やっぱり変な感じだなぁ。』 銀時と結婚してからもうすぐ半年くらい経つけれど、 アタシはいまだに坂田姓に慣れていない。 だからさっきみたいに街中で「坂田さん」と呼ばれても全く反応ができないのだ。 これがアタシの最近の悩み。 昔馴染みは総じてアタシのことをと呼ぶからいいけれど、 最近知り合った人たち(特に主婦仲間)はアタシのことを坂田さんと呼ぶから、 円滑な人間関係を維持するためにも、 そろそろ本気でこの姓に慣れなければ、と日々頭を悩ませているのだ。 『ただいまぁ。』 「おう、お帰り。」 アタシが万事屋へ帰宅すると、いつもの席でジャンプを読んでいた銀時が軽く返事をした。 『あれ、神楽ちゃんは?』 「神楽ならさっき友達とどっか遊びに行ったぜ。夕方には戻るってよ。」 『そう……。』 なんだか寂しいなぁと思いつつも、 アタシは買ってきたものを冷蔵庫にしまいこみ、ソファで一息つくことにした。 『……ねぇ、銀時。』 「んー?」 アタシが銀時に声をかけると、銀時は目線はジャンプのままで生返事をした。 『アタシのこと呼んでみて。』 「はぁ?」 突然アタシが意味不明なことを言い出すものだから、 銀時は思わずジャンプから目線を離してアタシのほうを見た。 その眉間にはこれでもかというほどしわが寄っている。 「お前いきなり何言ってんの?」 『いいから呼んでみて。』 アタシがやや強めの口調でそう言えば、 銀時はしばらく怪訝な顔をしてアタシを見つめていたけれど、 観念したのか不思議そうに「」と呟いた。 『そう、それが問題だと思うの。』 「はあぁ?」 いよいよ本格的にアタシの言いたいことが分からなくなったのか、 銀時はとうとうジャンプを置いて、顔を歪ませながら体ごとアタシの方を向いた。 『名前で呼び合うからいつまで経っても坂田姓に慣れないのよ。 今日だって帰り道に奥さんに名前呼ばれたとき振り向かなくて怒られたんだから。』 「んだよお前、まだ慣れてねぇのかよ。」 『お前って呼ぶのも禁止!今度からアタシのこと坂田さんって呼んで!』 「俺も坂田さんなのにそんなバカげたこと出来るわけねぇだろバーカ! 大体お前、結婚してもうどんだけ経つと思ってんだよ。半年だよ?半年。 半年もありゃ新人が一通り仕事覚えるぞ。」 銀時が呆れた顔でそう言ったので、アタシはちょっとだけムッとしながら言葉を返した。 『だって、ちゃんとした結婚式もしてないし新婚旅行も行ってないんだもん。 今までだって一緒に住んでるようなもんだったし、実感ないよ。』 「結婚式と新婚旅行はテメーが金もねぇのに見栄張んなって言ったんじゃねーか。」 『そうだけど……。』 銀時のもっともな反論にアタシが言葉を濁せば、 銀時は呆れたような顔をしてため息を吐き、そしてやる気のない声でこう言った。 「じゃあ結婚した記念に毎晩押し倒してやろーか?」 『いらないわよバカ。だいたいヤってる最中だってアタシのことって呼ぶでしょ?』 「じゃあ人妻プレイでもするか?そしたら坂田さんって呼べないこともない。」 『アンタって本当に頭んなか中2ね。そもそも坂田主人お前だろーが。』 「いや、坂田って苗字多いから隣ん家の坂田さんだと思えばなんとか……。」 真面目な顔でとんでもなくバカなことを言い出した銀時に、 アタシはこれ以上の真面目な会話は望めないと判断し、 返事をする代わりに頭を抱えながら大きなため息を吐いた。 『どうせ今までと何も変わらないんだったら、籍入れなくても良かったかなぁ……。』 冗談半分で呟いたアタシのその言葉に、 銀時は「んなこと言うなよ」と眉間にしわを寄せた。 「お前が坂田だったら安心すんだろーが、俺が。」 『えっ……。』 予想だにしなかった銀時の言葉に、アタシは思わず顔を真っ赤にしてしまった。 コイツ今何て言った?アタシが坂田だったら安心するって言った? 何それプロポーズ?って言うかデレた?銀時いまデレた!? しばらくは目の前のテーブルを見つめながらそんなことを考え、 そしてドキドキと高鳴る心臓を自覚しながらゆっくりと銀時の顔を見た。 『い、いきなり何……。』 「昔からよく松陽先生に言われてただろーが。自分のモンには名前書いとけよって。 お前が坂田ってことは、お前は俺のモンってことだろ。」 『なっ、何をこっ恥ずかしいことを……!』 「お前はまだ俺のモンだっつー自覚がねぇんだよ。 だからいつまで経っても坂田姓に馴染まねーんじゃねぇの?」 『……〜ッ!』 さっきから恥ずかしい台詞ばかりを言う銀時に言い返したいことは山ほどあったけど、 どれも言葉として成り立たなくて、アタシは口をパクパクさせるしか出来なかった。 するとそんなアタシの様子に気づいたのか、 今度は銀時が顔を真っ赤にさせてアタシの方を見つめてきた。 「な、なんつー顔してんだよ……ちょっとは何か言い返せよ、チョーシ狂うな……。」 『だっ、だって……。』 アタシがまた言いよどむと、銀時も自分の台詞が恥ずかしくなってきたのか、 お互いに顔を真っ赤にしてその場で黙り込んでしまった。 あぁ、何でこういう時に限って神楽ちゃんが居ないんだろう。 もし神楽ちゃんか新ちゃんが居てくれたら、 「付き合いたてのカップルか」みたいなツッコミをしてこの場を和ませてくれただろうに。 アタシはそこまで考えて、きっと銀時も同じことを考えてるだろうなぁと思った。 そんなアタシと銀時の目が合ってしまうのは、 アタシが銀時の様子を伺おうと思ってからたった数秒後のことだった。自分のものには名前を書きましょう
(なっ、何で同時に見つめあうんだよ……まるで夫婦みてぇじゃねーか!) (ああぁぁダメだ、銀時と2人っきりというこの空間に耐えられない……!) ((お願いだから神楽(ちゃん)早く帰ってきて、300円あげるからァァ!)) .。o○.。o○.。o○.。o○.。o○.。o○.。o○.。o○.。o○.。o○.。o○ あたしも坂田姓になりたいいぃぃぃ!(びったんびったん) ※誤字、脱字、その他指摘等は拍手かメールにて。 2012/08/19 管理人:かほ