しょうせつ

“あの子なんて、生まれてこなければ良かった。”

『鴨太郎、起きて。朝だよ?』

何度も何度も聞いた母の声に混じって、
酷く優しい声で僕の名前を呼ぶ声が聞こえた。

“あの子は鷹久の全てを奪っていってしまったのよ。”

『昨日も徹夜?じゃああともうちょっと寝とく?』

大半の記憶の中で“あの子”としか呼ばれない僕を、
鴨太郎と、優しい声で呼ぶ声が聞こえる。

“静かになさい!お兄様の体に障るでしょう!”

『じゃあ鴨太郎はお寝坊さんで朝の会議は欠席ね。
 近藤さんに言っとくから、あと30分は寝てていいよ。』

どちらが母親か分からなくなってしまう、その声の中で、
僕は重たい目蓋を動かして彼女の手を掴んだ。

「……っ、待って。」
『……!起きてたの?大丈夫?』
「違う……。」
『は?』

僕はまだ眠たいと駄々をこねる目をこすり、掴んだ腕に力を込めた。

「名前を……。」
『名前?名前呼んでほしいの?』

僕が無言で頷けば、はちょっと驚いた顔になり、
そしてすぐにいつもの優しい笑顔で僕の名前を呼んでくれた。

『鴨太郎。朝だよ。』

愛おしい者を見る目で僕を見つめ、優しく頭を撫でてくる。
それが心地よくて、僕はの手に身をゆだねた。

『昔の夢でも見たの?』
「いや、声が……。」
『声?お母さんの声?』

全てを語らなくても僕を理解してくれるに、僕はまた無言で頷いた。
するとの表情は急に困った顔になり、
ゆっくりと息を吐きながら、こんどは僕に優しく口付ける。

『今の鴨太郎には、アタシが居るでしょ?』

今度はちょっと甘い声で、僕の頭を撫でながらはそう言った。

以前、僕がうっかり深酒をし酔っ払ってしまった時に、
僕はに向かって「それでも憎んでは居なかったんだ」と言ったらしい。
言った本人である僕はその事を全く覚えていなかったが、
それでもただひたすら、の体を抱きしめながら、
「愛してほしかっただけなのに」と呟いていたとか。

だからは“今の鴨太郎”と言う。
昔のことを忘れろなんて、彼女は一度も言わない。
それどころか、僕が次男だったおかげで出会えたんだ、なんて事を言う。
確かその時もいつもの優しい声で、鴨太郎と僕の名を呼んだんだ。

『もし鴨太郎が伊東家の次期当主だったら、
 天人と人間のハーフの小娘との恋愛なんて、許されなかっただろうね。』

愛されたかった僕は、愛されない僕を憎んで嫌った。
でも、愛されなかった僕を、は好きだと言ってくれた。
優しい声で名前を呼んで、細い腕で頭を撫でて、
ちょっと困った顔でキスをして、そしてまた、優しい声で名前を呼ぶ。

『鴨太郎、どうする?まだ寝とく?』
「君を……抱き枕にしちゃ、駄目かな?」
『あっはは、アタシを抱き枕に?ヤだ、アタシがドキッとしちゃうよ!』

悪戯っぽく笑うの頬に僕が手を伸ばせば、
ちょっと驚いた顔をして、すぐに真っ赤な顔で微笑んでくれた。
そして僕の手に自分の手を重ねて、ゆっくりと目を閉じる。

『鴨太郎がお休みの日に、なってあげてもいいよ?』
「はは、僕に休みなんてあるのかな。」
『ウチの馬鹿共が馬鹿なことしなきゃねー。』
「じゃあ、一生休みなんて来ないだろうね。」

だんだんとハッキリしてきた意識で世界を見れば、
僕の隣にはいつも笑っているの姿があった。
家を出て、真選組に入隊して、と出会って、僕の人生は変わった。

「。」
『ん?なに?』
「もう一度、僕の名前を呼んでくれないかい?」




その優しい声色で

(優しい笑顔はちょっと驚き、いつもの笑顔で囁いた) .。o○.。o○.。o○.。o○.。o○.。o○.。o○.。o○.。o○.。o○.。o○.。o○.。o○ 鴨太郎には絶対に幸せになってほしいと思います。 過去も辛い事も全部ひっくるめて。 ※誤字、脱字、その他指摘等は拍手かメールにて。 2010/04/29 管理人:かほ