『鴨太郎……腕、違和感ある?』 程よく冷たい風が気持ちいい夕暮れ時、 僕が縁側で猫と戯れながら初夏の風を肌で感じ取っていると、 いつものように替えの包帯を持って来てくれたが心配そうな顔をしてそう言った。 「あぁ……。今まであったものが無くなってしまったんだから、当然だよ。」 『…………。』 「……??」 僕が無くなってしまった左腕に触れながら返事をすれば、 はその場に突っ立ったまま、酷く哀しそうな顔をしていた。 『……本当に大切なものって、失ってから初めて分かるんだよね……。』 普段の元気な声とは打って変わって、 脆く崩れていってしまいそうな、か弱い声ではそう言った。 そしてゆっくりと僕の傍に歩み寄り、隣に腰を降ろす。 『アタシね、ずっと一つのものに執着しないように生きてきたの。』 ポツリと呟いたの声は、何の違和感も無く僕の耳に入り込んできた。 それは紛う事なきの言葉だったけれど、 普段の彼女からは想像もつかないほど静かで、哀しい声色だった。 『一つのものに執着してしまったら、 いざそれが無くなった時、絶対に壊れてしまうでしょう? だからアタシは、執着なんて馬鹿な真似、絶対にしないって決めてたの。 それが弱い自分を守る、一番の方法だって思ってたから。』 「……。」 『でも、ダメだった。』 は泣いてしまいそうな表情で、しかしハッキリと言葉を紡いだ。 そして辛うじて残っている僕の左腕にそっと手を添え顔を伏せる。 『執着したら後が怖いって分かってたのに、 失った時、自分が壊れるってちゃんと分かってたのに、 鴨太郎が裏切ったって聞いて、思わずその場にへたり込んだの……。』 涙はまだ辛うじて流れていなかったが、それでも、声は確実に震えていた。 俯いているせいで分からない表情も、その声から安易に想像することが出来た。 分かっている、が何を言いたいのか。 そして、他の誰でもないこの僕が、にそんな表情をさせているんだという事も。 『アタシ、絶対にしないって決めてたのに、鴨太郎に執着してた。 だからあの時、鴨太郎を失ってしまうかもしれないって思ったら、 急に目の前が真っ暗になって、この先、どうすればいいんだろうって……。』 「…………。」 『もし……もしもあの時、近藤さんが鴨太郎を殺せって言ってたら、 アタシ、きっと真選組の皆を殺してたと思う。』 震える声でそう言うに、僕はかける言葉が見つからなかった。 きっと今の言葉に嘘偽りはないんだろう。 はこんな事を冗談で言うような人間ではない。 でも、それでも、の言葉を諌める事しか僕には出来なかった。 「、滅多なことを言うもんじゃない。」 『ホントだよ?だって、アタシには鴨太郎が居なきゃダメなんだから。』 バッと顔をあげたかと思うと、その表情に普段のの面影は無くて、 自分の思いを僕に伝えようと必死で、今すぐにでも泣いてしまうそうで、 その大きな瞳には溢れんばかりの涙が溜まっていた。 「……。」 『鴨太郎は、左腕を失って、違和感で済んでるかもしれないけど、 アタシは鴨太郎を失ったらそれどころじゃ済まない。 すごく哀しいし、すごく辛いし、涙だってきっと枯れてしまう。 ううん、生きていけるかどうかも分からない。 鴨太郎が居ない人生なんて、アタシ、考えられない。』 最後の方になるとやっと聞き取れる程の声の小ささで、 は正座をしたまま俯いて、自分の膝に置いた手に涙を零していた。 『だからね……アタシを置いていかないでほしいの。 裏切るなら裏切るでいい、真選組が嫌になったらそれでもいいから、 だから……アタシだけは……ずっと傍に置いておいてほしいの……。』 本当は分かっているんだ。 が今どんな思いで僕に言葉を投げかけているのか。 は僕に、そして僕もまたに、 一生で一度想うか想わないかというくらいの感情を抱いているのだ。 それは僕が一度道を踏み外してしまった後も変わらず、 の中で複雑に絡み合っているのだろう。 求めれば求めるほど、僕が寄り添わない事に不満を抱き、 願えば願うほど、僕が遠退いていくことに絶望する。 自分の執着を僕に押し付けようとすればするほど、 僕がを振り向かずに前へ進んでいってしまう事が耐えがたい。 「……。」 全て分かっていた事なのに、僕が今まで行動を起こさなかったのは、 心のどこかでに執着する事を拒否していたせいなんだろう。 いや、既に執着していたのに、その想いを認めなかっただけかもしれない。 だから僕は謀反を起こし、にこんな顔をさせてしまった。 「すまない、……。」 僕は残っている右腕での小さい体を抱き寄せた。 その体は本当に小さく、力を込めたら崩れ去ってしまいそうなほど弱かった。 『鴨、太郎……?』 「君にはずっと辛い思いをさせた……。 僕がこんな無様な姿になっても、 それでも君はまだ僕の傍に居てくれているというのに、僕は……。」 勝手に分厚い壁を作って、勝手に君を拒絶した。 どんなに僕が冷たい人間でも、酷い人間でも、 それでも尚僕に歩み寄ってきてくれていたを、頑なに拒絶し続けた。 「今なら分かる……僕が君や近藤さん達にどれ程非道な事をし続けてきたのか。 優しい君達を、僕は何度も傷つけてきた……本当にすまない。」 『鴨太郎……。』 僕の腕に抱かれながら、はゆっくりと体を預けてきた。 ちゃんとした言葉はなかったけれど、その重みがの心なんだと思う。 今まで散々酷い事をしてきたのに、 それでもは、まだ僕に自分の身を預けてくれるんだ。 「……。」 僕が耳元で囁くと、はくすぐったそうに身を捩じらせてから、 優しい笑顔を僕に向けて、『なぁに?』と言葉を返した。 「迷惑になるかもしれないけど、僕の頼みを聴いてくれるかい?」 『…………?』 「今日からずっと、僕の傍に居てくれないか。」 言葉の真意が分からず小首をかしげただったが、 僕の真剣な眼差しに全てを悟ったのか、急にポロポロと涙を零し始めた。 『ずっと、傍に、って……。』 「言葉どおりの意味だよ。これからもずっと、隣で僕を支えてくれ。」 『鴨太郎……。』 返事も忘れて本格的に泣き始めてしまったは、 僕の胸板に顔を埋め、小さく肩を震わせていた。 そんな彼女が首を縦に動かしたのは、 僕が言葉を改めて問いかけてから、しばらく経った時の事だった。結婚してくれないか
(ずっとずっと、その言葉を待っていたの) .。o○.。o○.。o○.。o○.。o○.。o○.。o○.。o○.。o○.。o○.。o○.。o○.。o○ あぁくそ言われてぇ!! ※誤字、脱字、その他指摘等は拍手かメールにて。 2010/08/20 管理人:かほ