しょうせつ

良家に生まれた男子はいずれは親の家業を継ぐか、
親の期待に添った地位にその身を据える。
そして良家に生まれた女子は箱入り娘として大切に育てられ、
自分の一族と同等の良家に生まれた男子と子を成し一族を繁栄させていくのである。

自分も佐々木家という良家に生まれた男子。
いずれは別に好きでも何でもない他の家の女性と所帯を持ち、子を成し、
当たり前のように佐々木という名を残すのだろうと覚悟はしていた。

そんな時、彼女が現れた。

「異三郎、この方は松平家のお嬢様だ。挨拶なさい。」

そう言って父が幼い私に紹介したのはとても可憐な少女だった。
この世で将軍家とほぼ同等の権力を持つ松平家。
その松平家に生まれ、一族始まって以来の神童と名高い少女、松平。
彼女は他のどの良家の女子よりも可憐で美しく、聡い少女だった。

『きみ、すっごく頭がいいんだってね。しょうらいは何になるの?』
「……まだ決めていませんが、父上と同じ、警察庁につとめたいとおもっています。」
『へぇ……うらやましいなぁ。わたしも男の子だったらよかったなぁ。』

さんの意外な発言に私が驚いていると、
彼女は柔らかい笑顔を私に向けながら鈴の音のような声でこう言った。

『わたしも弱い人をまもるけいさつかんになりたいんだ。』

松平という名家に生まれた女性が一体何を言っているのかと、幼いながらに驚いた。
彼女の運命は決まっている。
成人するまでに松平の名にふさわしい女性になるためのいろはを叩き込まれ、
松平の名前の為にどこぞの名家の坊ちゃんと政略結婚させられるのだろう。
特に彼女ほどの美しさと優秀な頭脳があれば、ほしがる家はいくらでもある。

「……さん。」
『ん?なに?』

別に佐々木の名などどうでも良かった。
幼い頃からエリート教育を受けて神童と呼ばれるまでに成長した私には、
この江戸にも佐々木家にも輝かしい未来がないことは分かっていた。
だからこそ、この人に全てを懸けようと思った。

「私は必ずあなたにふさわしい人間になってみせます。だから、その時は……。」

憎たらしい神童の、子供じみた申し出だった。
私が大きくなって警察庁のトップ、もしくはそれに近い地位まで上り詰めれば、
佐々木家を大きくすれば、私が佐々木家を名家中の名家にすれば、
きっと松平のお嬢様にも手が届くと、そう思っていたのだ。

結局それはただの夢物語に終わってしまったが。

『佐々木君、きみまた真選組の人たちにちょっかいかけたんだって?
 近藤局長がいい人だから許してもらえてるけど、
 次何か変なことしたら今度はアタシが怒るからね?』

そう言ったさんは、もうあの頃の可憐で小さなさんではなかった。

警察庁見廻役、松平。
女性でありながらその類まれなる頭脳と男にも劣らぬ剣術で
新設された我々見廻組のトップに就いたエリート中のエリート。
その功績から現将軍の妻にしようという声まで上がっている、
まさに江戸で一番輝かしい場所にいる女性になってしまったのだ。

もしさんが何の役職にも就かず、
花嫁修業に明け暮れていた“松平家のお嬢様”であったなら、
あるいは名門佐々木家の嫡男の嫁になることも可能であっただろう。
しかし、彼女は松平の家に縛られることなく、自分でさらに上の所へと行ってしまった。
家柄でも役職でも、彼女は私の上司であり仕えるべき人間なのだ。
もう私のような人間が簡単に手を伸ばせる女性ではない。

さんは、いつの間にか私の手の届かないところに行ってしまっていた。

『ちょっと佐々木君!人の話聞いてる!?』
「……すみません。少し考え事をしていたもので。」

幼い頃とあまり変わらない可愛らしい容姿で怒っているさんに、
私は何の威圧感も感じず平然とそう答えた。
するとさんは『佐々木君って相変わらず無表情』と不満げに言って口を尖らせる。
その表情も声も、全てが私のものであったなら、もっと仕事に集中できるんですがね。

「ところでさん、先ほど松平長官がおいでになったようですが、
 一体何の話だったんです?」

私が話を逸らすためにそう尋ねれば、さんはまんまと私の思惑にはまり、
困ったように眉をハの字にしたかと思うと、『あぁ……いいの』と首を横に振った。

『あれは仕事の話じゃなくて個人的な話だったから。』
「個人的な話?」

私が続きを促せば、さんはもっと困った顔をして言葉を濁らせた。

『えぇっと……別に隠すようなことでもないんだけど……でも……。』
「隠す必要がないのなら話せるでしょう。何ですか?」
『んー……あのね、』

さんはおずおずと私を見上げながら言葉を続ける。
その思いがけぬ上目遣いに、私は平静を装えと必死に自分に言い聞かせた。

『今度の休みの日に将軍とデートに行けって言うのよ……。
 護衛は真選組に任せるから、タダで遊べると思って精一杯羽を伸ばせって。』
「……そうですか。」

さんがたとえ自分の手の届かない存在になったとしても、
やはりこういう話題には嫉妬の念を抑えることができない。
自分のものにならないのなら、せめて他人のものにもなってほしくはない。
そんなこと叶わないと分かっているのに、
彼女に対する子供じみた希望はまだ消えてはいないのだろうか。

『アタシは何度も断ってるんだけどね?とっつぁんがしつこくて……。』
「さんは将軍と結婚したくないのですか?」

私が特定の答えを期待してそう尋ねれば、さんは驚いた顔で私の顔を見た。

『きみがそれを言うの?まさか忘れちゃってる?』
「……はい?」

目を丸くして私を見つめるさんに、私は眉間にしわを寄せて視線を送り返した。
するとさんは困った顔から少し残念そうな、悲しそうな顔になり、
『そうだよねぇ、もう何年も前のことだもんね……』と溜息混じりに呟いた。

『待ってたんだけどな。きみがふさわしい人間とやらになってくれるのを。』

アタシにはその“ふさわしい”が何を指すのか全然分からないんだけどね。
さんはそう続けると、寂しそうな微笑みを見せた。
しかし、その言葉も、表情も、声さえも、私の脳内には届いてはいなかった。

そんなことよりも何よりも、
たださんの『待っていた』という言葉と、あの時の記憶が頭の中を駆け巡る。

“私は必ずあなたにふさわしい人間になってみせます。だから、その時は……”

「……さん。」
『ん?』

さんの昔と変わらぬ幼い表情があの時の記憶をより一層鮮明に呼び起こした。

“その時は、私と――……”

「もし貴方があの時の約束を覚えていて下さっているのならば、」

憎たらしい神童の、子供じみた申し出だった。
夢物語だと思っていたその言葉に、さんは大きな瞳に涙をいっぱい貯めて、
昔と変わらぬ柔らかい笑顔で私に微笑みかけてくれた。




結婚して頂けますか

(返事は昔したはずだよと鈴の音のような声で言った彼女を) (私は優しく抱きしめてそうでしたねと微笑んだ) .。o○.。o○.。o○.。o○.。o○.。o○.。o○.。o○.。o○.。o○.。o○ サブちゃんって自分に対しても身分とかそういうのに厳しいのかなって。 ※誤字、脱字、その他指摘等は拍手かメールにて。 2012/04/14 管理人:かほ