しょうせつ

突然だが、ウチの毛玉は冗談抜きで頭の中が空っぽだ。
それでも奴の「大儀を見失うな」という言葉には共感できたし、
何だかんだ言ってもやる時はやる男だと少しだけ尊敬していた。
だからこそ、今まで奴の右腕として付いてきたのだ。
それなのに……。

「ー!今日はバレンタイじゃき、チョコばくれ!」
『アンタってホント懲りないのね。
 去年痺れ薬入りのチョコレート食べて一週間寝込んだの忘れたの?』
「せやから今年は普通のチョコばくれ!」
『絶対イヤ!』

わしは相手にだらしなく鼻の下を伸ばしている毛玉を見て深い溜息をついた。
今はもう違うが、は昔快援隊に潜り込んだスパイだ。
は5年前に情報のために毛玉に近づき、
見てるこっちが胸焼けするくらいのバカップルっぷりを発揮させていた。
しかしそれはあくまでも情報を得るための芝居。
そもそもウチの毛玉を好きになる女なんてこの世に存在するわけがないのに、
快援隊の連中もすっかりに心を許し、約3年間ずっと仲間として過ごしてきた。

勿論わしは毛玉が初めてを連れて来た時から、
この女には絶対に何か裏があると思ってずっと疑っていた。
それはがスパイ界から追放された今も同じことなのだが、
最近では同情さえしているというのが実際のところだ。

「、今年は誰にもチョコばやらんつもりかぇ?」
『自分で食べる分のチョコレートは買ってあるけど、
 人に渡すためのチョコレートなんて生憎持ち合わせちゃいないわ。』
「おぉ!買うてあるんやぃか!ほいたら一緒に食べるぜよ!」
『アンタ人の話聞いてた!?人にやるチョコはないって言ったんだけど!!』

グイグイと迫る毛玉を両手でグイグイと押し返すの姿に、
わしは頭を抱えながら深い深い溜息を吐いた。
スパイ時代は情報のために毛玉に尽くし、手作りのチョコを手渡しては

『社長さんっ♪はいコレ、アタシの愛よ♪』

なんて今本人に言えば自殺するであろう言葉の数々を吐いていたというのに。
いや、だからこそ今こうしてに同情しているのかもしれない。
約3年間あの毛玉に健気に尽くしていただったが、
をスパイだと知って傍に置いていた毛玉は勿論何の情報も喋らず、
結局2年前にはスパイ失格だとして業界から追放された。

以来、は手の平を返したように毛玉に冷たく接しているが、
ウチの毛玉がそんな事を気にするはずもなく、
情報を持ったままどこかへ行かれては困ると言って
を自分の手元から手放そうとはしなかった。

『情報持ってってお前一切喋らなかっただろーが!!!!』

そう涙目で叫んだの姿は、ウチの連中の涙を誘ったものだ。
本当に、我等が社長ながら腹の読めない扱いにくい男だと思う。

「のぉー、また昔みたいにワシんこと愛しちゅーて言うてくれー。」

の腰に手を回しながら毛玉がそう言えば、
抱きつかれているはこめかみに青筋を立てながら毛玉を押しのける。

『思い出させないでアタシの黒歴史!!
 アタシは情報のためにアンタに近づいて尽くしたの!
 なのにテメー一言も喋らなかったじゃねーか!!』
「そりゃあがスパイじゃと分かっちょったきに。」
『ならさっさとアタシを追い出してくれれば良かったじゃない!』

怒るなんかお構いなしで、毛玉はさらにを自分の方に引き寄せた。

「どういてそがぁな事せんにゃならんがじゃ。
 ワシャに心底惚れちょったき、
 騙されゆうフリして生かさず殺さず傍に置いちょったぜよ。」
『あーもー!!腹立つー!!』

そう叫びながら地団太を踏むに向かって、
毛玉はまだ「チョコばくれ」と言い続けていた。

そんなわけで、さっき毛玉が言ったとおり、
は運悪くウチの毛玉に惚れられてしまい、
腹黒い毛玉のせいでスパイ界を追われ、
こうして快援隊に留まっているというわけだ。
ウチの毛玉信者の連中でさえ、毛玉のに対する仕打ちに酷く同情し、
「坂本さんにスパイ活動なんてするから……」と今でも親身になって接している。

まぁのおかげで毛玉の女グセの悪さも改善し、
キャバクラ通いも地球通いもせず仕事をするようになった上、
は使える女なのでわしとしても残ってくれるのは非常にありがたいのだが、
それでもあの毛玉のデレデレ加減はどうにかしてほしいものだ。
昔はバカップルで鬱陶しいと思っていたが、
が毛玉を突き放した今の方が
むしろ状況が悪化しているのはどうしてなんだろうか。

『だーもう鬱陶しい!離れろって言ってるだろーが!!』
「まっこと嫌なんじゃったら本気で抵抗するぜよ。」
『本気で抵抗してるけど力で敵わないだけだっつーの!!!!』
「アッハッハッハ!」
『笑って誤魔化すな!!!!!』

そろそろ怒りを通り越して情けなくなってきたのか、
は泣きそうになりながらそう叫んだ。
それでもあの毛玉はを放そうとはしない。
あのドSっぷりは計算なのだろうか、それとも天然なのだろうか。
いづれにせよ、が可哀想なことに変わりはないのだが。

『分かった!チョコあげるから!一粒だけあげるからホント勘弁して!!』
「なんじゃあ、おまんツンデレっちゅーやつかぇ?」
『これは妥協っていうのよお前どこまでポジティブなんだ!!!!』
「があーんしてくれるっちゅーなら解放してやってもええぜよ。」
『はぁ!?誰がするかそんなこと!調子乗るのも大概にしろ!!』
「ほいたらずっとこのままじゃき。」
『あぁんもう誰か助けてぇぇ!!』

の悲しい叫び声が響いた一時間後、
とうとう本格的に妥協してしまったが
船の食堂で毛玉にチョコを食べさせてやる姿が目撃されたそうな。




元凄腕スパイのほろ苦い日常

(はい、あーん) (あーんむ……んー♪ワシャ愛されちょるのー♪) (あはは、あんたホントいっぺん死んでよ……) .。o○.。o○.。o○.。o○.。o○.。o○.。o○.。o○.。o○.。o○.。o○.。o○.。o○ 辰馬と一緒に、ハッピーバレンタイン! ※誤字、脱字、その他指摘等は拍手かメールにて。 2011/02/14 管理人:かほ